ポジションが定まらないヤツ

ポジションが定まらない奴のブログ

10年以上前に、ブログをネタにエンジニアへ転職した話

前段

ぼくは昨今では当たり前になりつつある、ブログやそれに類するメディアやTwitterでの繋がりを利用しての転職(キャリアチェンジ)を10年ほど前にしました。 もう10年も前の話なので現代では役に立たない事もあるだろうとは思いますが、その事を書いていたブログを閉鎖したので記録の意味で記事に残しておこうと思います。

先にまとめ

  1. 最初に買った本の著者がTwitterにどっぷりだった
  2. 自分もTwitterにどっぷり浸かって色々な人に知り合った
  3. 流れで関東遠征*1&登壇&OSS活動をちょいちょいしていた
  4. ブログやTwitter上でプログラミングについて色々と教えて貰った
  5. ブログは1年で200件、2年で300件ほど書いていた
  6. 勉強をはじめて8ヶ月で転職を決意
  7. Twitter経由で知り合った人から誘って貰う
  8. Skype経由で全ての採用プロセスを行った
  9. 勉強始めて10ヶ月でエンジニアの内定を貰えた

まとめると「クソほど行動量を増やして、掴めそうな物はなんでも掴んだ結果、ありがたいことにエンジニアに転職出来た」となります。

元々は何をしていたのか?

  1. 新卒入社した会社でPC販売の営業やサーバーの保守費用の延長部署立ち上げ参加と販売
  2. 特定派遣の会社で、工場に派遣されてシリコンウェハ焼成装置の水冷配管の組み立て
  3. 特定派遣の会社で、地元のSIerに派遣されて県で稼働している帳票システムの運用保守
  4. 特定派遣の会社で、地元のSIerに派遣されてとある県の給与計算システムの開発

ちなみに、当時の給与は手取りで15万円以下で岩手県に住んでいました。

どのようにして職業エンジニアになったのか

この記事のために、改めて検証してみたらプログラムを趣味で始めてからエンジニアとして転職するまでは約1年半の出来事でした。*2

ちなみに、ブログを始めた2008年*3は1年間で200件、翌年も100件ほど技術的な内容で記事を書いていました。

はじまり(2007年中後期)

工場で働いているタイミングで、趣味として初音ミクをやるプログラムをやるのか?という選択でプログラムを選択したのがはじまりでした。ちなみに、当時はC言語を勉強していました。*4

そしてJavaへ(2008年初期)

その後、「Java人工無脳がつくりたい」と思い立ち、そのために購入した「創るJava」という書籍の著者がTwitterをしていたのが、ぼくがTwitterをはじめたきっかけでした。無知とは怖いもので、その方をフォローして色々なJava界隈の方を紹介していただき、その繋がりがぼくの人生を大きく変えるきっかけになり大恩ある方です。今では当時の自分の事を、怖い物知らずで失礼なヤツだなーと思っていますが、生活の状態がお世辞にも良いとは言えず厳しい環境だったので、必死だったんだろうとも思います。

この頃から、岩手に住んでいるのに5分間のLTで喋る為に東京の勉強会へ夜行バスで参加しに行ったり、仕事を早上がりして勉強会の打ち上げに参加するため*5盛岡から仙台まで新幹線に乗って移動した上にカプセルホテルに泊まって次の日帰ったりするという、今にして思えば「どうかしている」行動を取るようになります。地元の岩手や東北地方でもエンジニアの勉強会は開催されていて、そちらのメンバーの皆様にも本当に良くしていただきました。

しばらく勉強(2008年中期)

ぼくにはプログラムを始めた途端に開花する才能のようなものはなく、エンジニアの集まりで知り合った超人からのアドバイスに従い、割と酷いコードを量産しては「はてなダイアリー」に投稿し、「ココがダメ」という指摘を尊敬する諸先輩方に「範囲選択したはてなスター」でして貰いながら、ひたすら「こうかな?」と考えながら修正する毎日で、とても楽しく充実した日々でした。

派遣先が地元のSIerに変わり、仕事の余りの忙しさにTwitterからもブログからも姿を消したことがあったのですが(自転車でいける距離に住んでいたので、毎日日が変わるまで残業だった)、何かの集まりの打ち上げで「最近あいつ見なくね?」みたいな話になったらしく、突然電話が掛かってきて酔っぱらい達が電話の向こうで色々と励ましてくれたり、煽ってくれたのは良い思い出です。*6

その後、派遣先での業務内容が運用から開発に変化し、この時点で既に業務でプログラムを書き始めたので「職業:エンジニア」といっても差し支えないのかも知れませんが、特定派遣という会社の形態的に「その状態が維持されるわけではなかった」という環境だったためもう少しだけ続きます。

そして転職へ(2008年中後期)

ぼくの年収が余りにも残念で、お世話になっていた非常に幹事力の高いエンジニアに「将来についてちょっとまじめに考えた方が良い」と言われ、転職を意識するようになりました。

元々、2年くらい頑張って勉強して転職しようとは思っていたので、Twitterなどで「俺は転職するぞJOJOOOOOOOOOOOOOO」などと言い始めたのがこの頃です。 とはいえ、エンジニアとしての実務経験は運用を含めても半年ちょっと、開発業務に至ってはこの時点では一月ちょっとというありさまで、各社の求人条件の「実務経験○年以上」を見ては絶望する日々でした。

ここから全部Skype経由

そんな折、Twitter経由で知り合いふんわりと*7参加していたOSSにも一緒に参加していた方から会社へのお誘いメッセージを貰い、職務経歴書の提出と相成りました*8。ちなみに、声をかけてくれた人とはこの時点で直接の面識はなく、Twitter上でポリモーフィズムについて教えて貰った位の関係でした。その位の関係性でホイホイ着いていく辺り、ハングリー精神って凄いなーと思います。*9

この方には東京で必要な生活費や引越費用、面接に行く交通費すら厳しい、正直職務経歴書がボロボロであるという相談にも乗って貰い、今でも感謝しています。*10

最近はよく有ることですが*11、この頃としては多分珍しく内定どころかちゃんとした面接の前に年収の提示を受け、その上で本番の面接を行いました*12、交通費が厳しかったのでSkypeの通話で面接をして貰いました。

ここまで全部Skype経由

それから3週間ほど時間を貰い、10社ほど応募してみたのですが9社は書類落選、1社は内定までいただきましたが諸条件が合わずに見送りとなり、前段の会社にお世話になることを決めました。

結果として「俺は転職するぞJOJOOOOOOOOOOOOOO」と言い始めてから1ヶ月半ほどで内定を貰うことができました。この間、エンジニアの集まるSkypeグループの中では、ぼくが上手く転職するために相手へアピールすべき点であったり、どういった点を評価してくれる会社を選ぶべきかなど様々なアドバイスを貰い、本当に助かりました。

転職、その後(2008年末)

そんなこんなで、2008年末に当時務めていた特定派遣の会社を退職し、大晦日前に東京に引っ越したのでした。*13

こうして、ちゃんと勉強し始めてからは10ヶ月ほどで岩手を飛び出し、「職業:エンジニア」となりました、この後も色々*14ありましたが、あれから10年経った今ではなんやかんやあって日本の会社で平社員をしつつ、その会社の子会社2社でCTOをしています*15

おわりに

こうしてみると、ごく短い期間に沢山の人に沢山お世話になっていて、改めてあの時もらったものを後進に返して行きたいと改めて思った次第です。

*1:当時は岩手在住

*2:真面目に勉強をはじめてからは1年間

*3:真面目に勉強し始めた年

*4:オンラインゲームのサーバーサイドのプログラムを弄っていた

*5:本編不参加

*6:お陰でインターネット上での活動に復帰できました

*7:こう表現する他無い

*8:この時点で履歴書出してない

*9:相手の方は、ぼくが東京に行ったときに泊めて貰ったエンジニアの人の家でやっていた生放送(Ustream)でぼくの顔は見ていました、泊めてくれていた人は後の同僚となる

*10:職務経歴書には職務以外のブログ上での活動や、OSS・登壇活動なんかも載せるようにアドバイスして貰いました

*11:転職ドラフトとかね

*12:当時の月収の2倍

*13:勤務は2009年から

*14:リーマンショックの影響で数ヶ月で転職したり

*15:ベトナム